英国の児童文学小説、J・K・ローリング著『ハリー・ポッターと死者の秘宝』(静山社)を映画化した、『ハリー・ポッター』シリーズの第8作目にして完結編が遂に明日、世界同時公開を迎える。2001年にシリーズ第1作目『ハリー・ポッターと賢者の石』が公開されてから実に10年以上も経つ訳で、その意味でもなかなか感慨深い。
2001年12月の日本公開時は、まだ原作を読んでいなかったが、素直に楽しめたことを記憶している。(ダニエル・ラドククリフを除き)主役を演じた子役がいずれも新人だったこともあり、演技的にはやや難があったもかもしれない。それでも、ファンタジー要素の強い夢のあるストーリー、イギリスの生活文化が随所に感じられる映像、そして脇を固めるマギー・スミスやアラン・リックマンなどの演技派俳優に支えられつつ、伸び伸びと演じる主役3人の姿には好感が持てた。
ところで"史上最強のファンタジー"と名高い『ハリー・ポッター』だが、物語は以下のように始まる。
主人公のハリー・ポッターは、叔母一家であるダーズリー一家の元で居候している。叔父のバーノンや叔母のペチュニア、従兄弟のダドリーに虐げられたハリーは、階段下の物置内で暮らしていた。ところが鬱屈していたハリー宛にある学校から手紙が届くようになる。そして、彼は自分の出生の秘密と宿命を知ることとなる——。
こういう原作がある映画はどうしても「原理主義派」の洗礼を免れない。少しでも「原作」とのズレがあると、しばしば脚本は糾弾されるものだ。上映時間や資金、映像化の限界を理由に、プロットから割愛されるシーンが必ずある。だが原作でイメージや世界観を膨らませた読者からすれば、些細なシーンにも思い入れや意味があり、それが抜け落ちていることに怒りを覚えるのだろう。
筆者は映画から入ったこともあり、そこまで原作への思い入れがあったとは言えないが、脚本の良さが出たと感じるシーンがいくつかあった点でも印象的な作品だった。世界的ベストセラーの映像化だけに、脚本も入念に準備されていると感じたものだ。
紙幅があり、編集されているとはいえ、ある程度は著者の意向で書くことが許される書籍とは異なり、時間という決定的な制限がある映画の脚本では、いかに効率よく物語をまとめていくかが問われる。つまり、一つのシーンに複数の意味、ないし伏線を持たせることが不可欠となる。
その意味で以下のシーンでは、脚本の良さが出たと感じた。
ダーズリー一家の物置で寝起きしていたハリーになぜか「H」という刻印の付いた手紙が届き始める。慌てた叔父と叔母は、ハリーから手紙を取り上げるが、日に日に届く手紙の数が増えていく。平日は手紙の回収と処理に忙殺されていた叔父のバーノンが、日曜日の到来を喜ぶ。
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【原作】『ハリー・ポッターと賢者の石』(静山社)より
日曜の朝、バーノンおじさんは疲れたやや青い顔で、しかしうれしそうに朝食の席に着いた。
「日曜は郵便は休みだ」
新聞にママレードを塗りたくりながら、おじさんは嬉々としてみんなに言った。
「今日はいまいましい手紙なんぞ——」
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【映画】『ハリー・ポッターと賢者の石』(ワーナー・ブラザーズ)より
腕組みしつつ、ご満悦の表情を浮かべるバーノンおじさん。機嫌良くダドリーに問いかける。
「日曜日はいい。1週間で一番いい日だ。なぜかね?」
首をかしげる従兄弟のダドリー。朝食の配膳をするハリーがすかさず答える。
「郵便が来ないから」
うれしそうな顔でハリーを見るバーノンおじさん。
「その通り。いまいましい手紙が今日は来ない! 一日中、手紙を見んで済む1通もな!」
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この些細なシーンには基本的な事とはいえ、脚本ならではのテクニックが織り込まれていると感じた。脚本では、バーノン叔父がダドリーに問いかけることで、以下の要素を組み込むことに成功している。まず、周囲を巻き込み、立体感を演出。バーノンの独白にならずに済んでいる。同時にダドリーの無知と無関心、ハリーの知性を描写。そして、バーノン自身の人間性も表出している。ちょっとした工夫により、視聴者が短い一瞬で多くの情報を読み取れるようにできている。
こうして原作と脚本と比較すると、このシーンに限って言えば、原作のほうが冗漫に感じられる。たかが、1シーンかもしれない。脚本の役割を考えれば、驚くほどのことではないのも事実だ。だが、制約ゆえに脚本が作品を台無しにすることもあれば、磨くこともまたある。このシーンに関して言えば、間違いなく後者である。脚本家の魔法が確かに感じられた瞬間だった。
さて、そんな"史上最強のファンタジー"もいよいよフィナーレを迎える。また脚本の魔法を感じられることを期待しつつ、最後の冒険を心から楽しみたい。
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